皆さんはじめまして、今年70歳になりました、ミヤと申します。
驚くかもしれませんがまだまだ現役で日本語教師として働いております。
人生100年時代に突入しました。
昔と違って今のシニア世代は皆元気ですし個人的には、日本語教師には定年はないと思っています。
「孫の成長だけが楽しみ」というだけではもったいない、自分の人生は自分ものだと思っています。
人生の山坂を越えて今がありますし、何かに挑戦すれば新しい世界が広がります。
そんなシニアで日本語教師に挑戦中の私から、日本語教師になった経緯や、実際の仕事の様子などをお伝えさせていただきます。
目次
シニア日本語教師の話|日本語教師になろうと思ったきっかけ
私が日本語教師になろうとしたきっかけは息子です。
私は結婚する前は臨床検査技師として、医学部の研究室で働いていており、日本語教師は文系色が強いですが、私はどちらかというとリケジョでした。
結婚後二人の子ども(長男、長女)の母となりましたが、当時は子育てしながら働く環境が整っておらず、二人目の出産後、仕事を辞めて子育てに専念していました。
やがて子どもたちが中高生になった頃、今度は両親の介護が始まり、通算22年の介護生活を送りました。
その当時、日本語教師という仕事は頭にはありませんでした。
一方、私の息子はというと、大学で経営学の勉強の傍ら東南アジア研究サークルに属し、東南アジアに大変興味を持っておりました。
13年前、「日本とアジアの架け橋的存在になりたい」と言い、大学を卒業後マレーシアの現地の企業に就職し、日本を後にしました。
会社では東南アジア諸国を飛び回る営業の仕事に就き、その後、息子は同じ大学のマレーシアからの留学生と結婚し、子どもも生まれ充実した生活を送っていました。
そしてそれはちょうど今から5年前のことでした。
私は長きに渡った介護生活が終り、母を看取って4ヶ月が経ち、ようやく落ち着きのある日常を取り戻しつつあったそんな折、フィリピンの日本大使館から一本の電話が入りました。
息子が出張先のフィリピンで、亡くなったという知らせでした。
息子は6日間の予定でフィリピンに出張中体調を崩し、あっという間に34歳の若さで亡くなってしまいました。
息子からフィリピンに到着した日に、「無事到着」とホテルで撮った写真とともにメールが届いていました。
私は現実が受け止められず茫然自失してしまいました。
葬儀など一切を済ませ、私はうつ状態になりました。
何もやる気が起こらず引きこもった状態が半年程、続きました。
毎日息子のことをあれこれ思い浮かべながら、ふと思い出したことがありました。
それは、息子の会社に残務整理に行った時のことです。
私が整理をしていると、息子の同僚たちが寄ってきて、生前に息子が皆から日本語を教えて欲しいと頼まれ、忙しい海外出張の合間に、日本語を教えてくれたということを話してくれました。
そして、息子に教えてもらったと、そこにいた全員が片言の日本語で、挨拶やら自己紹介、簡単な会話などを披露してくれました。
最後に「彼は最高の日本語の先生でした!」と言って全員で泣きました。
そんな光景を思い出しながら、息子もまだまだやりたかったことが沢山あったろうになどと考えつつ、「そうだ!私が息子の意志を受け継ごう」との思いが湧き上がってきました。
泣いてばかりいた日々から、前を向いて歩こうと決めた瞬間でした。
そして、息子の夢であった世界の架け橋にとの想いを込めて、日本語教師を目指すことを決意しました。
66歳からの出発です。
それからは教育学部に日本語教師養成コースのある通信制の大学に入学し、日本語教育を学び始めました。
その時、大学の講義で聞いた国際交流基金の日本語パートナーズの話に興味を持ち、20歳から69歳まで応募可の条件を見て応募しました。
日常的な英会話必須だったので、何十年かぶりに英語の本を購入し勉強し直しました。
60代の合格者は一握りでしたが、何とか合格しました。
息子が応援してくれたおかげで、大した特技もない私が合格できたと実感しました。
息子の写真に合格を報告した時、「お母さん、良かったね!」と微笑んだような気がしました。
渡航前の研修で初めてのインドネシア語を1ヶ月間、研修施設で特訓を受け、悪戦苦闘しながら、インドネシア語をマスター?とまではいかないまでも何とか話せる程度になり、大学を1年休学して、インドネシアに出発しました。
合格した時は67歳でしたが、インドネシアに着いて1ヶ月後に68歳になりました。
インドネシアの高校に6ヶ月間派遣され、現地の日本語の先生のサポートや日本文化の紹介をしました。
この経験はとても有意義なものでした。
単なる観光ではなく、現地で仕事をし、生活することにより、自分が外国人になって、あまり堪能ではない現地語(私の場合はインドンネシア語)を話す外国人の気持ちがよくわかりました。
このことは日本語教師となった今、大事な視点になっています。
インドネシアから帰国後大学に復帰しましたが、インドネシアの高校の授業を経験し、日本語教育の理論と共に技術的な学びも必要と痛感し、420時間の養成講座に大学と並行して1年間通い、69歳で終了、70歳で四年制大学を卒業し、新卒日本語教師として働いています。
息子のことは大きな悲しみでした。
しかし、息子によって新たな人生のステージが広がりました。
夫や娘の応援もあり新たな一歩を踏み出した私を見て、息子も喜んでいると思います。
シニア日本語教師の話|就職活動や実際に働いてみて
2019年12月には卒業見込みになっていたので、夫に就活をすると言ったら、「終活」と勘違いされました。
それはともかく、コロナウイルスの影響で入国制限もあり、募集も少なく厳しい状況でした。
数校応募しましたが年齢的なこともあり苦戦しました。
感染リスクを負う年代でもあり、自粛生活で学校見学もままならなず、思いあぐねていた矢先、中国のネットスクールのオンライン日本語教師の募集を見て応募しました。
幸いにも採用され、現在中国人を対象にまだ半年程の新米ですが、オンラインで授業を行っています。
世界的な新型コロナの感染危機の時代に遭遇しましたが、オンライン日本語教師は良い選択だったと思っています。
タイミングとしてはラッキーでした。
大変なこと① パソコン操作
私の就職したネットスクールは中国にあるため、全てがパソコンで行われます。
採用の流れは日本と大差なく、書類選考、面接、模擬授業などですが、それらがスカイプを使って進みます。
スカイプなどは使ったことがなく、バタバタ、ドキドキしながら事前にメールで送られてきたテキストを勉強し模擬授業を行い、何とか採用になったものの、採用されてからがまた大変でした。
私はオンラインで行う授業に対して少々甘く見ていたというか、よく調べもしないで応募した面があり、採用後に中国ではかなり大きなネットスクールであることが分かりました。
日本語以外の言語も数か国語あり、日本語だけで200人程度の日本語教師がいるとのことでした。
そんなわけで採用後に提出する書類が半端なく、契約書はじめ、身分証明書、パスポートのコピー、卒業証明書、他の資格証のコピー自己紹介文、教師用の写真、ボイスレコーダーに自己アピールを録音したもの等々、これら全てをパソコンでやり取りします。
日本でなら、疑問点は電話で聞くこともできますが、ここは中国。
メールかスカイプです。
アナログ世代の私には一苦労です。
いちいち調べて、ボイスレコーダーに録音し、送り方がわかるまで3、4日かかったこともありました。
おかげで、色々覚えることが出来、全ての書類が完了したときは、それだけで達成感があり、まだ始まってもいないのに一仕事終えたような満足感がありました。
大変なこと② お金、システム
日本語教師の給料は、一般的に低めですが、ネットスクールの教師の場合、非常勤の日本語教師の時給より更に低いです。
オンライン日本語教師だけで食べていくことは、到底できません。
ただシニアの日本語教師で、生活の心配がなければ楽しくやっていけます。
具体的な給料は25分1コマで、10コマ単位で50円ずつ上がります。
報酬はボランティアよりまし、という程度かなと思います。
スジュールを自分で決められるので、副業でやられている方も多いようです。
やってみて感じることは、スケジュールは朝から夜遅くまで自分の都合の良い時間に入れられますが、それを選ぶのは学生なので、入らない時もあれば折角、入念に準備していたのに前日キャンセルということもあります。
会話授業が主ですが、文法的なことも教えますし、また文字入力の操作が遅いと時間切れになることもあるので、早く打つ練習が必要です。
最初の頃、相手の声は聞こえているのに、こちらの声が聞こえない事態にオタオタしてしまい、チャットで「ごめんなさい」と書いて終了したこともありました。
オンライン授業なのでパソコンの環境が悪いと何もできないので、時々チェックが必要となります。
ただ、学校のサポート体制はしっかりしており、研修もあり、職員はほとんど日本語の堪能な中国人なので、質問にはすぐに答えが返ってきます。
スカイプ上での日本語教師グループのチャットもあるので、慣れてくればそれほど不安はないです。
シニア日本語教師の話|仕事のやりがいや楽しさ
私の学校は入門クラスから上級クラスまで10段階に分かれていて、最初は一対一の対面授業です。
全員ではありませんが、予め基礎的な日本語は学んでくる学習者も多く、日本に留学経験のある人もいれば、日本語を読むのがやっとの人もいます。
職業も学生のほか会社員、主婦など色々で、毎回違うレベルの様々な学習者との会話授業は変化に富み、楽しいです。
レベルの違う分、準備も大変ですが、自分なりに工夫しスキルアップに繋げていきたいと思っています。
また、シニアならではの話題の深さも、特に中上級から上級の学習者には有用ではないかと感じています。
特に時間前に入室した学習者とのおしゃべりも楽しみの一つです。
強制ではありませんが、教師の評価の他に学生の評価もあり「今日はとても楽しかったです。また先生の授業お願いします」などと書かれたりすると嬉しいです。
数ある語学の中で日本語を選んでくれた学習者に感謝しつつ、日本語大好きな外国人が、世界中に広がることを夢見ています。
シニア日本語教師の話|これからのこと
少子高齢化が進み外国人も珍しくなくなった日本。
シニア日本語教師は、時代の要請と言ったら言い過ぎでしょうか。
コロナウイルス の影響で働き方も変わってきました。
やる気も時間も人生経験も人一倍あるシニアにとって、通勤や体力的な問題など考慮すると、オンライン日本語教師という働き方もありかなと思います。
人生100年時代となった今、シニア世代は、健康であれば第三の人生の出発点です。
まだまだイケます!人生前向きに挑戦することで、新たな景色が広がります。
その波に乗るも、乗らぬもそれぞれですが、新しいグローバル化特に、リモートだのモバイルなどと、アナログ世代のシニアは凄い時代に身を置いています。
日本語が好きで、日本が好きな外国人が増えていけば、日本語教師が世界の平和に貢献していく役割も大きいのではないでしょうか。
〜日本語教師を目指そうと考えている方、ご興味がある方向けのご案内〜
現在、日本語教師として働くため(厳密には法務省告示の日本語教育機関で)の資格は3つあります。
- 大学で日本語教育の主専攻または副専攻として学び修了する
- 学士の学位を有し、かつ日本語教師養成講座420時間コースを修了する
- 日本語教育能力検定試験に合格する
上記3つの資格に関しては「どれくらいの期間で、費用で、資格取得後にどのようなところで働きたいか」によってメリット・デメリットがあり、わかりにくく感じることもあります。(3つ全て取得することも可能です)
現在、日本語教師を目指しているみなさんから「どんな養成講座があるのか」「どこの養成講座を選んだらいいのか」「検定試験対策はどうしたらいいのか」という声をよく聞きます。
例えば・・・日本語教師養成講座は文化庁に届出を出しているものでない資格として認められません。なのでそれ以外の養成講座を受講してしまうと、せっかくお金と長い時間をかけて修了したのに「いざ働こうと!」と思っても、働くことができないというトラブルもあります。
そこで日本語教師アカデミーでは、日本語教師を目指している方向けに、全国の「日本語教師養成講座」と「日本語能力検定試験対策講座」の資料請求が一括でできるサービスを実施しています。
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日本語教師キャリア マガジン編集部
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